昭和と平成の垣根を超えて
中高生の集いを一月一回開催しているのであるが、最近の若者は物怖じしない。自分の思いや考えを素直に話してくれる。先日「愛」についてディスカスした。恋愛について思うことを「自分の経験を通して」話してくれたのだ。「今好きな人がいて」とか「今付き合っている人がいる」とかみんなの前で話してくれる。昭和を生きる私の時代では考えられないことだ。子供たちの声を聞いて嬉しく思う。
私がアメリカに居て子供たちの前で話(法話)したときに、「先生の教科書に書いている言葉は勉強したらわかるけど、先生の経験はどうなん?」って言われた時に、子供たちには(人には)自身の経験を通して話しなければ(私を)理解されないのだと思った。それからは自身の経験や体験を通じて法話するようにしている。そうすると人には通ずるものがあるし、信頼を得ることになる。なので、私もアメリカ生活が長いので日本に帰ってきて人と話をしても自分自身のことを語らない人は信用できなくったし、怪しいと思うようなった。(そうであってはならないのではあるが…)
あるクラスを受講しているのであるが、参加者は昭和を生きる人(一人以外は)。平成を生きる人が生きづらさを感じているのは昭和の世代が平成の世代に降りてきていないからだと思う。平成の時代に生きる人たちが自分たちの思いを伝えていける時代を作らなければならない。参加者が自身の思いをクラスで話さないと平成の人もついてこれない。ほとんど私がクラスで発言しているのであるが、「寡黙」にいることが美徳であるような(昭和の)雰囲気は大嫌いだ。また、発言しても人を小馬鹿にして聞いている人もどうかと思う。なら、自分自身で自分自身の言葉で堂々と話しなさい!と声を大にして昭和の人に言いたい。
もう、このクラスでの勉強も終わるが、悪しき日本人の文化(昭和)が現代社会を生きにくくしているのではないかと思う。歳をとっても若くいたいものである。世代間を超えて若い人たち(平成)とお付き合いしたいものである。自分自身を曝け出して。
合掌、
"あなたが問題を抱えると、さらに問題を抱えることになる。あなたが可能性にフォーカスすれば、さらに可能性を得ることになる" 前を向いて歩みたいものである。