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法事での話である。初盆をお迎えになられたお宅にお参りさせていただいた。 息子様家族にお亡くなりになられたお父様の奥様(お母様)もお参りされた。皆様にご挨拶させていただき、お勤め。最初に念仏を称える。「なまんだーぶ、なまんだーぶ」(南無阿弥陀仏)と。
私が称えた念仏に応えるように奥様(お母様)も念仏を称えるのである。その声を聞いた時、この方は救われているなと思った。一声の念仏の中に奥様(お母様)が仏と向き合ってこられた人生が詰まっていると気付かされた。
お勤めが終わり、奥様に「大変失礼なことをお聞きすることかと思いますが、お母様は幼少の頃からお念仏を称えていらしたのですか?」と。「はい、そうです。」とお答えになられた。やはりそうである。「…お母様、年の順番で言えばお母様が先かと思いますが、私がきちんとお見送りさせていただきます。どうぞご安心くださいませ。残されていく家族、そして私も含めてお母様の身後を大切にさせていただきます。お念仏の生活を大切にさせていただきたいものです。」と。
そして、今日旦那様の1周忌法要をみんなのお寺淨願寺で勤修した。奥様(お母様)も身体が不自由な中、お参りくださった。息子様から聞かされたのは「母の命は、来年の春までかも」と言うことだ。「お母様は、仏様と共に歩んでいらっしゃいます。何も心配することはございません。」とお伝えさせていただいた。そして、今日の法事が終わった帰り際に、「お母様、無事に1周忌をお勤めすることができましたね。」とお伝えすると、目の不自由なお母様は私の手を取って「どなたですかな?」と。「住職でございます。」と言うと、「後のことはお願いします。(私を)見送ってくださいね。」とおっしゃられた。「ご心配なさらずに。きちんとお見送りさせていただきます。」とお伝えしました。お母様は、最後に自分の行く末を私に伝えにお寺に来られたのだろうと思った。大した方である。 合掌、 南無阿弥陀仏