布施行
人に対する布施(分け隔てなく施す)をどのように表すのか? 仏教では『雑宝蔵経』に「無財の七施」(布施波羅蜜)を説いている。
1.眼施(げんせ)ーーーーーーーーーーーやさしい眼差(まなざ)しで人に接する
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)ーーーにこやかな顔で接する
3.言辞施(ごんじせ)ーーーーーーーーーやさしい言葉で接する
4.身施(しんせ)ーーーーーーーーーーー自分の身体でできることを奉仕する
5.心施(しんせ)ーーーーーーーーーーー他のために心をくばる
6.床座施(しょうざせ)ーーーーーーーー席や場所を譲る
7.房舎施(ぼうじゃせ)ーーーーーーーー自分の家を提供する
この七布施を見ていただくと、みなさんが他に行じる財施(仏様・僧侶に施す布施)はない。
『大智度論』などの書物に出てくるのが、
財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。
法施とは、仏の教えを説くこと。
無畏施とは、災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。
とある。
財施は、仏教一般には在家信者がお寺や僧侶に布施するのであるが、お坊さんは基本お金を持たないのはご存知でしょうか? 上座部仏教(東南アジア圏の仏教国)では、お坊さんはお金を持たない。所謂日本仏教(大乗仏教)のようではない。ちなみに私(住職)は、お寺からお給料をいただく形なので所得があり、税金も納めている。
お給料と申しましたが、財施はみなさんからの寄進である。門徒・信者さんがお寺(仏様)に布施する行なのである。僧侶が勘違いして悪道に陥りやすいのが、みなさんからのお布施を所得と捉えてしまうことである。みなさんがよく口にする「坊主丸儲け!」である。みなさんのこの言葉は僧侶が全て布施行(財施)を勘違いしている(わかっていない!)からだ。僧侶はこの布施行(財施)をしないのであるからダメなところである。(全ての僧侶がそうであるとは言えないが。)
こういう話を友人から聞いた。その友人は同窓会に参加したそうだ。大勢の同窓生が集い、中にお坊さんも数名いたそうだ。会も進みそろそろお会計となった時に、全員から会費を徴収したそうだ。その時、会に出席していた悪道のお坊さんがとった言動はこうである。「わしは財布を持ったことがない!」と言って、白い封筒を出して「わしの財布はこれや!」とお布施袋からご門徒様がお布施くださった財施を出して会費を支払ったそうだ。
その時、もう一人の僧侶が「お前、何してんのや! そりゃあかんやろ!」と一喝したそうだ。一喝された当の本人は自覚なくその場で笑っていたそうだ。
もう20年以上住職している僧侶らしい。仏道の精神を根本から間違っている僧侶にこの財施の意味を悟らせなければ、日本仏教(僧侶)はいつまでたっても「坊主丸儲け!」とみなさんから叩かれる。
そもそも僧侶が受け取るご門徒さんからの財施は、門信徒さんが僧侶にするのではない。お寺、仏様にする布施行なのである! 僧侶は門信徒さんの布施行を受け取りお預かりさせていただくのである! 私どもの門信徒さんは、お布施を私に渡す時に「住職さん、仏様にお供えください。」と必ず言って私に手渡してくださる。そして私は「お預かりさせていただきます。」と受け取る。
みなさん、僧侶にお布施(財施)を渡す時に、この僧侶は布施の意味をわかって行じているのかどうか確かめてください。 合掌、