top of page

肩書き

皆さん、ご存知でしょうか?  「Reverend」という英語の言葉の意味。「尊い人」とか「恭しい人」とかいう意味である。英語でもあまり使われない言葉ではあるが、肩書きとして使用される。Reverendは、「お坊さん」につける名称である。例えばこうである。私の名前を名刺に書くと、Rev. Hojo Toneとなる。「尊い刀禰法城先生」となるのである。アメリカでは皆さんに「レバレンド」とか「先生」とか呼ばれた。お坊さんはアメリカでは社会的地位が確立されていて、公的機関に多大なる影響を与える。例えば、ユナイテッド航空のエアーチケットを購入する際、名称のところをクリックすると、Mr.やMrs. それに Dr. などがあるが、そこにRev. もある。それだけ、アメリカ社会ではお坊さんは影響力があるのだ。日本では、「坊主かあ!」とか「クソ坊主が!」 とか言われたりするが、アメリカでは社会的に影響力があり、皆さんの人生に影響を及ぼすのである。アメリカにいた頃は、わざわざ2時間もドライブして仏の行をしにお寺に来る人もいた。自分の人生、心の拠り所となる仏教が生きる糧になるからだ。

ところで、日本語で「先生」はアメリカでも訳されずにそのまま「先生」として使われる。ただし日本と違うのが「先生」と使う場合は、お坊さんにだけである。学校の先生や弁護士、お医者さんにではない。アメリカ生活で「先生」と常に呼ばれていた。それが、当たり前のようになると大変なことになる。己を律していく心がなくなり、先生と呼ばれないで名前だけで呼ばれると「何?! こいつは!」となるのである。そこで、仏教に問われて「己を律しなさい!」ということになる。反省、内省するのである。私は若い頃から先生と言われていたので麻痺した経験がある。26歳でアメリカに行って、先生と呼ばれて敬われて私が説く仏の教えは正しいと思い込む。本当に愚かであった。お坊さんて仏教ってこんなもんや、と思ったところに落とし穴があった。師匠から一喝を食らった! 目が覚めたのである。

そして、自らをReverendや先生と名乗るようにした。あえて意識して、自らを「先生」と名乗るようにしたのである。それはなぜ? なぜ自分のことを「先生」と呼ぶのか? どういうことかと言うと「その時の自分の心持ちはどうなのか? 仏の教えにどう向き合っているのか? どのように己を律しているのか」ということを心がけるのである。敢えて自分自身、「先生」と名乗って己の姿を問うていくのである。

日本では、お坊さんのことを「おじゅっさん(住職さん)」とか、「御縁さん(住職さん)」とか、「先生(住職さん)」とか呼ばれます。その度に今の自分の足元はどこにあるのかと問うのである。  合掌、

肩書き

肩書き

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
bottom of page