抑止力 ー 安全運転を心がけて
去年、自損事故を起こして廃車! 軽自動車を購入。お寺の車としてフル活用! 狭い道や駐車場の出入りも楽々。田舎ではやはり軽自動車が運転しやすい。
先日、自動車事故についてのニュースを思い出した。東名高速道路で煽り運転され事故死された夫婦のことだ。あれから一年。危険運転致死傷害が適応されるかが焦点となる。事故の大きな証拠となったのは、ドライブレコーダーだ。加害者のレコーダーを解析すると煽り運転をしていたことが判明。そして高速道路の追い越し車線で停車され、後続のトラックに衝突される痛ましい事故。
自動車購入の際に勧められたのがそのドライブレコーダーだ。今は、前後左右360度確認できるレコーダーも販売されているそうだ。それが事故を起こした際の証拠となるからだ。
自動車の性能は日々進歩している。新車が発売されるたびに安全性を重視した装備が備えられている。私の軽自動車は安全性という面で言えばどうだろうか?
世界では、自動車運転の事故回避のために自動車一台一台にGPSを着けて自分の運転している環境を状況を把握・確認できるように開発が進められている。4年前ではあるが、アメリカで、
「車を運転するときは、ガラスに囲まれた密閉空間に乗り込みドアにロックをかけ、自分の目を頼りにして ― 前後の数台しか見ることはできないにも関わらず ― アクセルを踏み込みます 。しかし車同士が位置や速度の情報を共有し、予測モデルを用いて道路上の全員にとって最も安全な経路を計算できたらどうか?と、ジェニファー・ヒーリー氏は事故の無い世界を想像する。」(TED@Intelで収録)と述べている。
私は、アナログではあるがリアのハッチバックにステッカーを貼っている。これもある種追突防止の抑止になればと思って貼っているのであるが見ていただきたい。
お寺の案内である。ステッカーを貼るまではよく煽られた。軽自動車だから。しかし、信号待ちや、一時停止で近づく後方車がステッカーに気づくと皆さん車間をあけてくれる。「お寺さんに、お坊さんに当てたらバチ当たるやろ」という思いからなのだろうか。皆さん、十分な車間距離をとってくれる。
車を運転する際の注意は十分認識しているとは思うが、なにせ人間。法から逸脱することもある。私は罰則を受けたこともある。抑止ではあるが、運転するときには心がけないといけないことがある。それは心の動きだ。運転する時、運転中、そしてそのときそのときの状況に応じて自分の心理が変わるということ。注意しなければならないことが多い。
世界中を旅するが、車を利用すると世界各国において事情も異なる。イギリスでは、危険運転をすれば即逮捕。法律は日本より断然厳しいので煽り運転などは到底許されない。罰則も厳しい。かたやアジア圏ではどうだろうか。インドなどに行くと、歩行者がいても車同士が多少当たっても問題なし。クラクションは必要以上に鳴らすは、歩行者横断中も御構い無しに通り抜ける。
アメリカで生活していた時は、歩行者が横断する際に歩行者が横断歩道前で一旦停止していたら、必ず自動車は歩行者を優先させて無事に横断させなければならない。日本は、歩行者を無視。自動車優先の社会。歩行者が横断しようとして手をあげても自動車はなかなか一旦停止してくれないのが現状。もっと歩行者に優しい運転を心がけたいところだ。そしてもっと法整備して厳しく取り締まることが必要だと思う。
そこで、友人の京都の平安オート株式会社代表取締役社長に思うところを訪ねてみた。
①「運転する際、ドライバーが注意しなければならない点は?」
社長「~かもしれないと常に考えること。予測運転が大切。」
②「安全運転とは?」 社長「技術はもちろん、心構えや人間性が大きく影響するもの。」 ③「もし、事故をした場合何をしなければならない?」
社長「怪我人の救助、警察、保険会社への連絡。」
④「運転中、注意しなければならない点は?」(安全運転と重なるかな?)
社長「周りの車、歩行者への心配り。」
⑤「日本の現在の法律に関して思う点は?」
社長「悪質運転に対しての罰則が軽すぎる。厳罰にするべき。」
⑥「あと、思い当たる点があれば。」
社長「ドライバーへの罰則を厳罰にするのと併せて、歩行者、自転車への罰則も厳罰にするべきだと思います。信号無視を初め、ルールを守らない過ぎです。そちらも考えて欲しいです。」
だそうである。
人間は何かの「抑止力」が働かなければ対処できないことが多い。法律もそうだ。
また、仏教の教えに「なになにしてはなりませんよ。」という「戒律」がある。それも抑止である。「救ってあげますけど、ただしこれをしてはいけませんよ(除きます)。」とある。
何も自動車の運転だけに限らない。生活のあらゆる面で「抑止」を働きかけなければ人間至らぬ方向へと向かってしまう。(自分に警鐘を鳴らすことも大事である。)そして律して行くことの大切さを仏教から学ぶのである。
合掌、