僧侶としての資質
「おい! 坊主か!」「お前は、…」<和歌山県の漁師> 「(お坊さんパパ)どうして和歌山へ?、どうして熊野古道へ?」「(しばらく沈黙が続いて隣の人が)息子が自殺してから…」<東北のメインテナンス業の社長> ひと昔前は法事(年回法要)が執り行われると、お昼に皆さんとお食事をともにした。御膳・お斎をいただいて、お酒もふるまわれて、亡き人を思い、語り合い、家族・親族が集う場を僧侶とともに共有した。今では、お膳料を包んでいただき、皆さんと語り合う場が少なくなってきた。先日ある法事を執り行い、お膳料をいただき、お昼に一人で居酒屋へ行った。法事を終えて、見も知らぬ人とお昼を共にしたいという思いから、場を変えて外で一人食事に行った。そのお店にはいろんな人が集うので僧侶として必ず何か得ることがあることを期待したのである。 私は普段着が作務衣(僧侶が着る作業用服)なので、どこでも作務衣を着用して出かける。特に禅寺で修行してからは作務衣が普段着となった。作務衣は作業着ではあるが、使い分けがある。雑務を行う場合は汚れた作務衣、一般の人にお会いするときは綺麗目の作務衣。そして法務(法事)を執り行うときには法衣(色衣に袈裟)といった通りである。その日は、綺麗目の作務衣を着用して出かけた。一般の方は、作務衣を着ている人を見るとお坊さんという認識があるので、私も襟を正す。が、…皆さんがお坊さんに抱いているイメージはお会いする人によって異なる。僧侶としての資質が問われる。 さて、お店に着いた。ちょうどお昼時で大勢の方が食事をしていた。カウンター席に座り周りを見渡すと、すでに(昼間から)酔っている人も多い。それになんと90パーセントはおじさん連中である。席に着き早速「生中!(般若泡)」。(ちなみにお坊さんがお酒をいただくお酒の種類は、「般若湯」(日本酒)や「般若泡」(ビール)。お酒は智慧の水と言われるので気を入れて飲む。)それから一品物を数品いただき、次に般若湯。美味しいねえ。 しばらくすると、左隣の男性が声をかけてきた。同県民ではないことはすぐにわかった。「どちらからですか?」と尋ねると、「東北からです。」と。「和歌山へはどうして?」と聞くと「熊野古道を170キロ。6日間かけて歩いてきました。」「どうしてですか?」と尋ねると、「実は重い話ですが、息子が、富士山で自殺しまして…」と続ける。「息子が富士山で命を絶ってから、山を登るようになりました。」と。話しながら涙を流され、「息子は受験に失敗して、私が息子を責めたのではなかったか?」と、苦しい思いを辛い思いを話される。私からかけてあげられる言葉は、「辛い思いをしながらも前を向いて歩んで行くこと。息子さんの分、より長生きして精進することです。」ということだった。そして、一杯の般若泡をシェアーした。 そうこう話しているうちに、今度は右隣の男性と女性(夫婦)が話しかけてきた。「お坊さん、どこからよ? 地本かい(和歌山県民)?」。続いて「何宗よ?」「浄土真宗ですよ。」と答えると、「わいもやしてえ。(私もですよ)」と。「うちの住職は、金ばっかり集めよるし、この前、京都(本山)に行ったときには、バスの中で「酒飲まんのかい?」って言うてくるし。こいつはどうしようもないやつや。」と話す。しばらくいろんな話をしながら般若泡を飲んでいると、その男性は酔ってきて絡んでくる。エンジンもかかってきて、「おい!、坊主! わし、お前の檀家になるわ!」まで言い出す。そして、「よし、これから2軒目に行くぞ!」と言われ誘われた。続いて、「これから家へ来いよ! 飲もら!」と誘いに来るわで、これ以上関わったら知ってるその住職の愚痴を聞かされるので、早く撤収しないとと言う思いで、「おやっさん! これから法事やから帰るわ!」って言うたら「お前! 酒飲んで法事に行けんやろ。(笑)」と。あかん、バレた。嘘は言えん。素直に「もう帰らせてくれよ。」って言うたら、奥さんが「また飲もら。」と。電話番号と名前を書いて渡してくれた。 世の人は、坊さんに対してグチもある。ほんとうに自分に問われてくる。足下顧みないとね。作務衣を着る。法衣を纏うとは僧侶にとってどう言う意味があるのか、世の中の人に交わりながら問われるのである。「所詮、坊主はそんなもんよ。」って言われるのか、「有難いな。よろしくお願いします。」と言われるのか、それぞれも僧侶の資質に問われる。 合掌、