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緊張と緩和

新たな年を迎え、自己を振り返りそして一歩一歩前へ進んでいきたいものである。

先日、自坊での新年の挨拶を終え、心新たに「緊張と緩和」を大切にさせていただきたいと思った。それは、竹のように「しなやか」に上に上にと上り詰めて行くように。

自分を成長させてくれているのだと気づかせていただく忘れもしない経験がある。まだ、30そこそこの歳の頃に、アメリカで大学に招待されて、仏教の講演をしていた時のことである。今でも唯一覚えている内容が坐禅の指導である。聴衆の前で仏教とは坐禅とはということを話し指導しながら進めていくと、なぜかみなさんがクスクスと笑い出したり、ひそひそ話をしたりしだしたのである。最初は「なんと失礼な無礼な人達か!」と思っていて、何度も繰り返し繰り返し同じ内容を話しながら指導していった。それでも聴衆の笑いが絶えない。「自分の指導が、話が、間違っているのか?」「今まで修行してきたのは何だったのか?」だんだん自信が無くなり、不安になってきたのである。「話をやめたい!」「この場から早く逃げ出したい!」しかし、終わることも出来ずに、聴衆に馬鹿にされても私は話し指導し続けた。そして講演は終了した。頭は真っ白であるが、恥ずかしい思いでいっぱいになった。なぜみなさんが笑っていたのか、尋ねる余裕もなかった。緊張していたのである。緊張で震えていたのを覚えている。そして悔しい思いと。「なぜか?」「なぜ、皆は笑っていたのか?」理解できなかった。

そして、その日の夜、1人でその日の講演の原稿をもう一度じっくり読み返してみた。そうすると、坐禅の指導の時に話していた英語(単語)を読み違えていたのであることに気づいた!解説すると、「坐禅は、調身・調息・調心なのである。そして、まずは身体を整えていくこと。リラックスした状態に持っていく。背筋を伸ばして、手は前に…」と。話を続けていった。そして「息(呼吸)ですが、息は肺でするのではなくお腹(丹田)に意識を集中していきます…」と。そこで話した「お腹(オヘソ)」という単語であるが、「berry button」という。私はそれを何と!…「nipple」と読んで話していたのである。「nipple」の意味は何ですか? そう!「乳首」である! 「オヘソ」を間違えて私は講演中「乳首」「乳首」と連呼していたのである! それに気づいた夜中に私は1人で大笑いした。そりゃあ、聴衆も笑うで。そういえば、会場の外に出て笑っていた人もいたかなあ。

その講演を振り返り、最初は聴衆も真剣に興味深く仏教の話を聴いていて、会場も緊張に包まれていたが、「乳首」のくだりでグダグダになった。しかし、話を終えた時の聴衆のリラックスした顔を思い出したら、私の真剣な話の中にちょっとした緩みがあるとこんなに場の雰囲気が変わるものだと考えさせられた経験である。良い坐禅の指導ができたなと振り返り思った。今までで一番の。真剣(緊張)の中にも余裕(緩和)があれば竹のようにしなやかに生きられる。凝り固まるとすぐに折れる。良いバランスを保つことが修行の醍醐味である。 有り難いものである。

合掌、

緊張

緩和

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