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任される存在

お坊さんパパは、アメリカで臨床宗教師(チャプレン:寺院に属さず施設や組織で働く宗教者(主に病院、刑務所、教育機関など))のトレーニングを受けてアメリカの病院で看護助手の仕事をしながら臨床宗教師(チャプレン)として患者さんに寄り添っていた。アメリカ国籍も取得して本格活動していた頃、自坊の住職継承の話があり日本帰国。現在「赤ちゃんからお年寄りまで集うお寺」を目指してみなさんにお寺に来ていただくようにお誘いしている。お寺のプログラムで定期的(月2回)に老人ホームや病院にお邪魔させていただき、患者さんや入所されている方々のお話を聞かせていただいている。常にお坊さんはゴミ箱のように(自分の意思や思いを吐き出せるような)人にとってはなくてはならない存在になるよう心がけている。

病院やホームでの皆さんのお声のほとんどは、「院主(住職)さん、後のことは宜しくお願いします。」とおっしゃる。私に任せるということである。

お歳を召した方70歳代80歳代以上の方をよく見かけるのがお通夜・お葬儀の席である。読経後必ず参列者の方を向いて法話(説法)をするのであるが、最近よく見かけるのが高齢の方が法話中に合掌しておられること。最初は仏さんに拝んでいるのかと思っていたのだがどうもそうではない。2、3分しても合掌する姿を崩さずひたすら祈り続けている。しかも私の方を向いて合掌して頭を下げている。式が終わり私が退出するまで。そういう方々が増えて来ている。なぜなのか?

私が思うに、それは「私のことを宜しくお願いします。あとはお任せします。」という現れなのである。一度尋ねてみたことがある。「なぜ私に合掌するのですか?」と。そうすると、やはりそういうことであった。「院主さんに見送っていただくようにお願いしているのですよ。わしのこと頼んどきますわな。」ということであった。

任される存在としての私。常々皆さんにお伝えしているのが「後のことは心配せんでえーんやで。ちゃーんとほとけさんが迎えにきてくださる。安心すんのやで。また、ご先祖さんにお会いできる。お父さんやお母さんがそばにいらっしゃる。心配せんでえーんやで。」と。 合掌、

通夜の席で

宜しくお願いします

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