言葉の背景にあるもの
「ピジン・イングリッシュ」とは
日本各地に方言があるように、英語にも地域によって方言(なまり)があることをご存知でしょうか。
ご存知の通り、イギリス英語とアメリカ英語では異なりますし、オーストラリア英語とそれらもまた違っています。
ハワイにもハワイ独特の英語があり、一般に「ピジン・イングリッシュ」と呼ばれます。ハワイに語学留学する機会があるなら、現地の文化としてのハワイ英語(ピジン・イングリッシュ)を学んでみてはいかがでしょうか。
ピジン・イングリッシュが生まれた背景にはハワイへの移民の歴史がありました。
19世紀頃、ハワイには白人たちの手によりサトウキビやパイナップルの農場が次々と出来上がり、働き手が大量に求められました。
それらの働き口を目当てに日本、中国、韓国などのアジア圏、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国、プエルトリコなどの中南米からも多くの人がハワイへと移り住みました。いわゆる移民です。元々異なった言葉を話す彼らの共通言語として誕生したのが「ピジン・イングリッシュ」で、意味は“ ブロークンな英語”。文法はひとまず、単語を連ねたシンプルなものとして話し始められ、移民2世、3世の手によってしだいに変化、発展し、やがてひとつの言語へと育っていきました。
ハワイの「ピジン・イングリッシュ」の第一の特徴は独特のリズムと音。
例えば、「thの発音はtに変化します(three→tree)」。
「rは発音されません(mother→maddah)」、またスペルも元々の言葉のものからどんどん崩されます。
そしてアメリカの黒人たちの英語がラップミュージックにしばしば登場する格好良い言葉と目されるのと同様、ハワイアンたちの間で「ピジン・イングリッシュ」はとてもクールなものだと考えられているようです。
ピジン・イングリッシュの具体例を順にご紹介致します。
◆Broke da mouth
(発音:ブローク・ダ・マウト)(意味:すごく美味しい)
英語のBroke the mouth がもとになった表現です。
BrokeはBreak(意味:壊す)という単語の過去形。「あまりに美味しくて口を壊した」というところから出来ました。
ちなみに、ハワイではthe(発音:ザ)やthat(発音:ザット)をda(発音:ダ)としばしば発音します。「暑い日」はda hot(ダ・ホット)、「高い」はda expensive(ダ・エクスペンシブ)など、ハワイアンは「ダ」で始まる表現を多用します。
◆Da kine
(発音:ダ・カイン)(意味:~みたいな)
英語のThat kind of thing がもとになっています。
「~とか」、「ほら」というような意味もあって、サーフブランドの名称にもなっています。
◆Howzit
(発音:ハウズィット)(意味:どう、元気?)
英語のHow is it? がもとになりました。ハワイではとてもポピュラーな表現で、朝、昼、晩、時間帯に関係なく友達同士で使われます。
◆I owe you money or what?
(発音:アイ・オー・ユー・マニ・オア・ワット)(意味:何、見ているんだよ!)
あれれ、ずいぶんと穏やかじゃありませんね。
直訳すれば、「あなたにお金を借りたりしている?」となりますが、ピジンだとけんか腰の一言に。遠慮なく人を見つめることは失礼に当たり、それをされたハワイアンたちが抗議のために使う表現です。
◆Make house
(発音:メイク・ハウス)(意味:寛いで下さいね)
「寛いで下さい」という意味の英語表現Make yourself at home.にどこか似ています。
「自分の家にいるみたいにリラックスしてね」というニュアンスだそうです。
◆Shaka
(発音:シャカ)(意味:いいね!)
もし、英語に置き換えるとしたらAll right!、Great!、Well done!となるでしょうか。
Shakaと言う際にハワイアンたちは小指と親指を立てるポーズ(ハワイアンたちが写真撮影の際にしばしばやる「アロハ」のジェスチャーといえばわかりやすいでしょう)をします。
◆Chicken skin
(発音:チキン・スキン)(意味:鳥肌)
英語では本来goose bumps(直訳:ガチョウの凸凹、ブツブツ) と表現する鳥肌ですが、これは明らかに日本語の影響を受けた表現。もろ直訳ですね。
このピジン・イングリッシュにまつわる話ですが、私がアメリカにいた頃、仕事での最初の赴任地がハワイ。そして約3年半をハワイの地で過ごしました。主に日系人社会の中でです。日本人移民がハワイに出稼ぎに来て建立した「コミュニティーセンター」の役割をしているお寺でです。赴任当初英語が喋れずに、日系人の英語を学び、日系人が話す日本語を学ぶといった生活を送っていました。
ハワイの生活を終え、アメリカ本土、ボストンへ留学そして仕事(主に東海岸)にと、本土で過ごすこととなりました。
ニューヨークやシカゴで法話の依頼を受けてお話しさせていただいた時、私が学んだ「ピジン」が本土では通用するわけではなく、法話の後に「何を喋ってるかわからん」と叱られた思い出があります。自分自身は「なんで叱られないといけないのか」さっぱりわからず、私の話す英語が通用しないのかと思い、涙しました。当時お世話になったお坊さん(本土)に反省文みたいなものを書いたのを覚えています。後から気づいたのですが、メインランド(本土)の先生方(お坊さん)は、ハワイから来る先生方を馬鹿にしているのだと。「(ハワイの先生方は)英語が喋れない」と言う理由でメインランドの先生方は、ハワイの文化を理解しないそうです。それに私がメインランドに住んでいて感じたことは人間関係に余裕がないと言うことです。流石にハワイは時間の流れなどはゆっくりと感じられるし、穏やかな性格のかたが多いのは確かでした。そうした多様な環境で生活をしてきたので、土地土地によって、文化によってアメリカ人も多様な社会を形成していると実感できました。今では良い思い出となっています。
今は、日本に帰ってきて生活していますが、日本人と接するのは時にしんどくなります。特に団塊の世代の方たち。平成・令和と若い人たちがこれからの日本社会を作り上げていくので、もう少しお年寄りの方も若い人たちの考えに耳を貸さないとね。私はまだまだ僧侶としては若く精進も足らないところではありますが、和歌山の地、淨願寺で新たな文化を形成していければと思うところです。気は若く、新たな出会いを大切にさせていただき、「今、ここ」を大切にしたいもです。合掌、
Komen