イジメ・虐待について思うこと
今回は前回に続いてのお話である。イジメ・虐待は、子供の脳に影響を与えるということは、友田先生(福井大学子どものこころの発達研究センター教授)がおっしゃっている。近年言われているのが、心理的虐待、すなわち「言葉による暴力」である。その結果どうなるのだろうか?
ある実験がなされた。観葉植物を用意して、毎日声をかけてみた。一つのプラントには「優しい声掛け」。もう一つのプラントには「暴言を吐く」。それを何日間も続けると、結果は…。
どうでしょうか。お分かりになられましたか。植物(生き物)でも反応するのである。それを(暴言を吐くこと)小さな子供にできますか? イジメをできますか?
先日どうしようもない大人が会合でこういう話をしました。「僕は今までイジメてはきたけど、イジメられたことはなかったです。」「言わしてもらいますけど、僕からしたらイジメた側に問題があるとみんなは言うが、イジメられる側にも問題あるんと違うん」と言うのですね。「(その論理は)それはおかしいやろ」と言いました。暴行を加えるということはどういうことなのか、わかっていない大人である。情けない。第3者(大人でも)が仲介に入って(イジメ・虐待)止めていく。そうでなければ、そのプラントのようになる。この大人、自分の子供がイジメられていたら真っ先に学校に「うちの子供がイジメられている」って言いにいくだろう。それか、この大人の子供もイジメをしていたりしてね。この大人誰かと言うと、浄土真宗本願寺派の住職をしている方である。
「言葉」は大切である。「行い」は大切である。「意い」(おもい)は大切である。 それで「人間とは何か」「自身とは何か」が問われてくるのである。 仏様の行である「業」(ごう)だからだ。 あらためて、自分自身のあり方が問われてくるのである。合掌、
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