「死の教育」の必要性
先日、開催されました訪問看護協議会に講師として迎えられ、「臨床宗教師としての経験」をお話しさせていただきました。アメリカの病院やホームで看護の仕事(認定看護助手)と心のケア(臨床宗教師)に従事してまいりましたと挨拶させていただきました。今回お話しさせていただいたのが、「死の教育」についてです。欧米諸国では死の教育が子供の時からなされます。子供向けの本も多数。しかし、日本は死の教育をしないので死を遠ざけますよね。特に団塊の世代の方たちは日本の高度経済成長を支えてきたので死に対する考えや思いは今の老人方と比べると低い。先日、死の研究会(ビハーラ)の講演に参加しました。そのときに在宅専門医の講演を聞いて質問したのが、「2040年問題として在宅医療はいかなる問題を抱えていますか?」と尋ねたところ、「野垂れ死が多くなる」とおっしゃられました。いわゆる、孤独死・孤立死が多くなると言うのです。
今、急いで教育しないといけないのが「自分の死について学ぶ」と言うことです。仏教では死の教育が生、生きる意味について学ぶと説くからです。また、僧侶が人の「生死の問題」に今まで関わってこなかったのも原因があるでしょう。
今医療現場で起きていることを看護師・介護士にアンケート調査をしてみました。質問1:「死を迎える人になんて声をかけてあげますか?」に多い答えが「ありがとう」「ご苦労様でした」「また会えることを楽しみにしています。」質問2:「人間死んだらどうなりますか」の問いに対して「思い出とともに受け継がれていく」「家族を見守ってくれている」と。医学部の学生さんにも「人間死んだらどうなるの」と尋ねると「人間死んだら終わりです」と半数が答えました。
この医療現場での言葉に仏教のエッセンスが組み込まれれば、もっと豊かな人生の終末期を迎えられることであることは確かであります。今急がれている「死の教育」を皆さんとともに考えたいものです。合掌、
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