「念仏」や「坐禅」じゃないのです!
宗教にうるさい人は、「念仏称えなさい」とか「坐禅しなさい」とか言いますね。私がお世話になった禅宗の老師は「念仏や坐禅は助業(じょごう)だ」と言われました。どういうことかと言いますと、「念仏や坐禅では人間救われない(仏に成れん!)」と言うのです。
私は門徒さんに「念仏称えなさい」とか「浄土」や「往生」など宗教専門用語を用いて話したりはしません。日常の何気ない言葉の中に仏教のエッセンスを取り入れようとしています。
そこで、私自身の人生経験を通じて「お坊さんのゆる~い話」(カフェで月1回)でお話しさせていただきました。満席立ち見まで出るほどの人の集まり。第1回でお話しさせていただいたのが「自己紹介」と「仏教とは」ということです。「自己紹介」で17歳の時に父親を亡くしたときのことをお話しさせていただきました。
私たちは親を亡くした後「誰を頼りに生きていけばいいのか」迷います。そのとき、大切なのが「生前の親の言動」です。亡親を前にして頼りにできるのは親が残してくれた言葉や行いです。ですので、大勢の高齢者が参加されていたカフェでみなさんに伝えたのが「今、元気なうちに子や孫に自分の思いを伝えること」「子や孫に自分自身がこの世を去らなばならなくなった時に、伝えなければならない事を今語る事が大切です」とお話ししました。私自身、父親が息を引き取る前に書いた「遺言」が今は生きる糧(僧侶として)になっています。別れは辛いが、新たな出会いがあります。それが、亡父が「仏となって私を導いてくださる」という事です。 「ここ・今こうして集う私たちが何をしなければならないかは、大切な人に「いつもありがとうね」と感謝申し上げる事です。それが仏の道を歩む者となるのです。」と。 先に逝く者は後を導き、後を歩む者は先を弔う
合掌、
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